よく人を変えようとする人がいます。
だけど その試みは決してうまくいきません。
なぜかというと、信じているものが違うからです。
キリスト教とイスラム教の戦いのようなもので、相手を変えようとすると血みどろの戦いになりますし、血みどろになっても変わることはありません。
どちらが正しいとか間違っているとかではないのです。
そして最終ゴール地点は同じだったりもします。
数年前、私は会社の上司と考え方が合わず苦しんでいました。
部門の運営について意見が全く合わなかったのです。
当時その部門は業績が赤字の上に社員の残業も嵩んでおり、部門のメンバーが疲弊していました。
原因は仕事の受注の仕方にありました。
私の上司は見積金額も納期もお客さんの要望通りにして受注してくる人でした。
お客さんには大変喜ばれますが、その仕事を受ける社員はたまったものではありませんでした。
仕事を受けた社員は無理な仕事と分かってはいたものの、お客さんに迷惑をかけられないので死に物狂いで仕事をこなし、何とか納期に間に合わせていました。
一方、私は最初から無理な条件の仕事は受けない方針をとっていました。
お客さんはたくさんいるので、わざわざ茨の道を歩むことなどなく無理なく受けられる仕事を選べば良いと考えていました。
そうすればお客さんに高品質のサービスを提供できるし、社員も笑顔で働けると思っていました。
このやり方なら会社の業績も上がるので誰も文句はないだろうと自負していました。
この考えを上司にぶつけてみると、全否定されてしまい正直驚きました。
上司はチャレンジすることが大事だと常々言っており、多少無理してで仕事をした方が社員が成長するし、赤字といってもいっときのことで後から返ってくるという持論を持っていました。
私は綺麗な仕事をしてお客さんの信頼を勝ち取り、利益を出して会社に貢献するというのがあるべき姿と考えていました。
当時は上司が明らかにおかしいと思い、何度もぶつかりましたが上司も私も考えが変わることはなかったです。
そして何年かしてその上司がいなくなり、私が部門を見ることになりました。
今になって思うと上司の言い分も分かってきました。
私が部門を見るようになってから社員の残業は激減し、業績も向上しました。
しかし、社員がなかなか成長せずいつになってもベテラン社員が仕事をリードしている状況が続いています。
そして、そのベテラン社員たちは上司に厳しい仕事を与えられ、死に物狂いでこなしてきた人たちなのです。
ここに至り、上司の考え方も一理あったなと思うのです。
だからといって上司の路線に変更する気はないのですが、今思うと上司と真っ向から対立していた自分は未熟だったなと思います。
上司も私も会社を良くしようと思っていたのは間違いありません。
ただそのアプローチの仕方が違っていただけなのです。
当時は相手の考え方を変えようと必死でしたが、もっと上位の会社を良くするという共通視点に向けてどうしていくかという話をすればよかったんだと思います。
どんなに意見が食い違おうが、同じ人間である以上高い次元に行けば共通項は必ずあるはずです。
だから人を変えようとか自分が変わろうとかではなく、高い次元での大きな目標や考え方に共通するものを見出すことができれば、意見の食い違いは枝葉の部分に感じるだろうなと思った次第です。