はじめに
みなさんこんにちは。
今回は将棋棋士、羽生善治さんの書いた本を紹介します。
結果を出し続けるために(著者:羽生善治)
本は絶版になっていてAudible版のみのようです。
羽生さんは僕と同い年なこともあり、デビューした頃からずっと活躍をみさせてもらっています。
25歳で前人未到の将棋界の7大タイトルを同時に取るという偉業を成し遂げ、その後年を重ねても若手をねじ伏せ続けていました。
この本は、そんな羽生さんが40歳の頃に講演を行った内容を元に大幅に加筆・修正したものです。
羽生さんの将棋における体験を通じて、人生のヒントになるものをたくさん伝えてくれる本でした。
「はじめに」で羽生さんはこのように言っています。
将棋は、自分の思い通りにならないからこそ魅力がある
これは羽生さんのような将棋の達人であっても、将棋盤という狭い世界の中でも予想できないことや意外なことがたくさんあるってことです。
そして「思い通りにならない面白さ」を楽しんでいると仰っています。
将棋の世界は勝ち負けが自分の報酬に直結する厳しい世界です。
その中で思い通りにならないことが面白く、それを楽しんでいるという感覚が素晴らしいなと感心します。
これからこの本で僕が得たものをご紹介していきます。
1.努力を結果に結びつける方法
勝負で大切なこと
将棋で結果を出すとは、勝負に勝つことです。
羽生さんは勝負で大切なことを3つ提示してくれています。
- 恐れないこと
- 客観的な視点を持つこと
- 相手の立場を考えること
順番に見ていきましょう。
恐れないこと
経験を積むと、いろいろなことが見えてきて、実際には目に見えないものにおびえてしまい、思い切って踏み込めないことがあります。
いつもなら簡単にできることでも、恐れを持ってしまったために自信や決断が鈍って、うまくできないのです。
恐怖の感情は確実にIQを下げます。
だから恐れないことはどんなときでも大事です。
羽生さんは恐れを克服するための方法を教えてくれます。
自分にとって不必要なものを手放すことです。
(中略)
自分にとって必要でないものを見極めたうえで、決断しながら不要なものを捨てていくことが、恐れないことにつながるのです。
羽生さんは手放すべきものの1つとして実績を例に挙げています。
これは例えば、3年連続優勝していた棋戦に4年目も優勝しなきゃと思うと、恐れを感じる場合があります。
こういうのが不必要な実績なのでしょう。
「恐れを感じるぐらいならそんな実績忘れちゃいな」
というのが羽生さんの言い分だと思います。
客観的な視点を持つこと
局面を、自分の側、相手の側からではなく、審判のように中立的に見ることです。
そうすると、「これはファールだ」「これは誤審だ」「こちらに非がある」といった正しいジャッジができます。
言葉を変えると、「他人事のように見る」ということです。
客観的に見ることのたとえに審判を使っているところが面白いですね。
将棋には審判はいませんが、立会人や解説者などをイメージしているんだろうと思います。
将棋を実際にやられたことがある人なら分かるかもしれませんが、将棋はものすごい頭を使います。
そして読みが外れたり、自分がミスをしたりすると頭がカッカしてくるのが普通です。
羽生さんはこういうときに、自分の視点から離れて外から自分を見るということをご自身でやっておられ、それを読者に勧めてくれているんでしょう。
相手の立場を考えること
将棋の基本的な考え方に、「3手の読み」という言葉があります。
これは「自分がこう指して、相手がこう指してくるから、そこで自分がこう指す」という3手1組の読みのことです。
「3手くらい、プロなら読むのは簡単ではないか」と言っても、実際は難しいのです。
最も大事なのが、2手目の相手の手をどう読むかなのですが、ここで相手の立場に立つことは非常に難しいからです。
自分にとってベストの手を指した後で、今度は相手の立場に立ってベストの手を選択する。
つまり自分にとって1番不利な手を考えることが、困難だからです。
よく相手の立場に立ってものを考えようといいますよね。
それはその通りなんですが、羽生さんの話を聞いていると簡単でないことがよくわかります。
本当の意味で相手になりきって、その状態で相手のベストな選択を考えることができるか
これができるようになれば、ビジネスやコミュニケーションなどあらゆる場面でとても役に立つ強力な武器になるだろうと思います。
私は自分の側からばかり考えるのではなく、頭の中で盤をひっくり返して、相手から見て1番良い手を考えることをよくやります。
それに対して、また自分のベストの対応を考える。
将棋はこの繰り返しです。
(中略)
状況を良くしたい、好転させたいときに、自分にとって1番都合の悪い手を考えるのは辛いはずです。
人間はどうしても局面を楽観的にとらえてしまいやすいのですが、そこをシビアに見ていくのです。
独りよがりな考え方、自分に都合のいい解釈などは多くの人がしょっちゅうしています。
羽生さんのように、相手の立場を考えることの本質を理解し、その難しさも理解し、その上で実践を重ねることを繰り返していけば、将棋が相当強くなるだろうと思います。
もちろん人生のすべての領域に通ずる考え方であることは言うまでもありません。
不調の見分け方
勝負事には好不調の波はつきものです。
結果が出なくなると色んなことを考え始めます。
そして自分では不調と思っていたとしても、単なる実力不足の可能性もあります。
羽生さんは不調と実力不足の見分け方を4つ教えてくれます。
結果を見るのではなく、内容だけを見ること
内容だけを見たときに、それが良いかどうか。
内容が良ければ、結果が出ていないと言うことですから不調、内容そのものが悪ければ実力不足、ということになります。
内容が良い、悪いというのをどう見極めるのかということには言及されていません。
この見極めは恐らく「納得がいっているかどうか」ということだと思います。
整理すると以下の4つに分けることができます。
- 納得がいっていて勝っていれば「好調」
- 納得がいっていて負けていれば「不調」「運が悪い」
- 納得がいっていなくて勝っていれば「まぐれ」「運がいい」
- 納得がいっていなくて負けていれば「実力不足」
身の周りで起こっている出来事を見ること
周りと歯車が噛み合っていない、不協和音があるときは、何かが欠けている証拠だと言えます。
いわゆる流れに逆らっている状態を指しているのだと思います。
自分の生き方、考え方が周りの人たちの反感を買うようだと逆風を感じます。
こういう状況だと、不調につながっていくということを教えてくれているのでしょう。
自分の視点ではなく、第3者の視点で見たときに、「自分がどう映っているのか」を、他の人に確認してみること
不調のときは、自分で判断している基準すら狂っている場合も多いものです。
自分だけでやっているとどうしてもわからなくなってくるので、自分がそれに向いているかどうか、うまくやっていると思うかどうかを、はっきり言ってくれる人、信頼できる人に聞いてみることです。
羽生さんは自分の判断基準が狂ってきたとき、誰に相談しているんだろうと興味が湧きます。
人から言われた言葉の、感じ方の違いを見ること
激励、励ましを受ける際に、「頑張ってください」という言葉を使われることが多いはずです。
この「頑張ってください」を言われたときに、どのように受け取るかを感じてみることです。
うまくいっているときは、「ありがとうございます。頑張ります!」と思うことが多いでしょう。
しかし、うまくいっていないときは、「そんなことを言われなくても、いつも頑張っているよ。何でもそういうことを言うんだ!」と被害妄想が拡大していきます。
これは確かに自分の調子を測る有力なバロメーターになりそうです。
うまくいかないときは他力思考
将棋の局面において何をやってもうまくいかなそうなときがあります。
そう言うときは相手に手を委ねます。
委ねるとはパスに近い手を指すと言うことですが、これを将棋では「手を渡す」といいます。
日常生活で例えると、何でもかんでも自分で考えるのではなく、うまい答えが出せないときには他人に委ねてみるということですね。
ただ、ここポイントなんですが、他人に委ねた後も自分が関わっていることが重要です。
将棋は2人の対局者が手を紡いで1局を作り上げるものです。
だから将棋の場合、相手に委ねたものでも必ず自分に返ってきます。
そして相手がどんな手を指してくるかは分かりません。
ということは、相手がどんな無理難題を持ってこようがそれを引き受けなければならない。
これを先ほどの日常生活の話に戻すと、自分が考えられないことを相手に委ね、相手が考えてくれたことが自分にとって無理難題であっても、それを引き受けて次の1手を考えないといけないということです。
これは言い換えると、
「問題を1人で抱え込まずに相手を巻き込んで一緒に考えよう」
とう話にも見えてきます。
「手を渡す」という話はなかなか示唆に富んだ話だと思いました。
2.最善を選択する方法
次の1手を選択する際に、ツキや運、流れを読んで参考にすることもあります。
また、対局相手の調子や、相手との相性を意識したり、あるいはもっと大きな世界で、将棋界そのものの潮流や流れを読むこともあります。
たとえば現代の将棋界の流れの中で、この手を選択するのが良いのかどうか。
そうした流れを見極めることも大切です。
将棋の最善手というのは、計算で求められる可能性があります。
最近のAI将棋はプロに勝るとも劣らない実力になっていますが、これは最善手を計算で求められる可能性を示唆する1つの事実です。
しかしながら人間の力では最善手を計算だけで求めることはまだ不可能です。
そこで、ツキや運、将棋界の潮流など直接の対局に一見関係なさそうなことも取り入れる必要性があります。
将棋の1手を考えるときに、「現代の将棋界の流れの中で、この手を選択するのが良いかどうか」という視点を持っていくこと自体に、羽生さんの強さの理由を見た気がします。
ツキや運を呼び込む方法
羽生さんがやっていることとして、「ツイている人の真似をすること」が紹介されています。
1つ例を挙げると、いろんな人の話を聞いて、それを取り入れるかどうかを決める際に、自分の気持ちが軽くなるかどうかを判断基準にすることです。
人が何を言っているかではなく、自分自身がその話を聞いた後にどういう気持ちになるかを見極める。
次の1手の決断プロセス
将棋は、1手1手が決断の連続です。
普段の対局の中で、どのように考えて、どのように物事をとらえているか。
そして次の1手をいかに決断しているか。
私自身は、①直感、②読み、③大局観、の3つを駆使し、これらを組み合わせながら次の手を考えています。
僕らのようなアマチュアの将棋では、ほとんどが直感で指しています。
要所要所で読みを入れますが、大局観という見方で局面をみることは多くのアマチュアはできていないと思います。
この3つについて順番に解説します。
①直感
羽生さん自身が将棋の指し手を選ぶとき、最初に直感を使うそうです。
将棋の局面では平均して80通りくらい指せる手が存在するといわれています。
80通りの手を全て読むのは不可能なため、直感を使って2、3の手を選びそれ以外の手を捨て去ります。
直感を使うプロセスは感覚的な要素が大きいので、言語化することは難しいのですが敢えて言語化すると、次のようなプロセスに整理されます。
- 全体図を把握する、理解すること。全体を大雑把に、概要として理解するのが最初のアプローチ
- 明らかにプラスにならず、マイナスにしかならないという手を瞬間的に捨て去ること
- 幾何学的なアプローチとして、その局面を「形としてどうか」という目で見ること
- ピントを合わせるように、どこが1番のポイント、急所なのかを、瞬間的に選択すること
やはり感覚的なことなので、言語による説明ではあまりピンとこないです。
ただ、考え方ややろうとしていることを大まかにつかむことはできます。
僕らが真似をするとしたら、これらの考え方を使ってやってみて感覚をつかんでいくしかないと思います。
②読み
「読み」では、①その手が良いか悪いかと、②どこで読みを打ち切るかという、2つの判断が非常に重要です。
(中略)
この「読み」の力をつけるには、自分で考える経験を積むことも大事ですが、自分が選ばなかった選択肢を、可能な限り検証することです。
自分が選ばなかった選択肢を検証するという話は、あまり聞いたことがないトレーニングで参考になります。
これは自分が関心がいかないこと、盲点になっているものについて見る訓練だと思います。
自分の視野を広げ、死角になっているところに光を当てるもので理にかなっているなと感心します。
③大局観
「大局観」という言葉は将棋意外で使うことはあまりないかもしれません。
意味合いとしては全体を見た上での感覚のようなものです。
羽生さんが大局観の特徴をまとめてくれていますので参考にしましょう。
- 直感と同じく、ロジカルな積み重ねの中から育ってくるもの、わかってくるもの。ただし、その因果関係は、直感と違って証明しづらいもの
- たくさんのケースに出合い、多くの状況を経験していく中で、だんだん培われてくるもの
- 自分がやっていなくても、他の人や過去にやったケースをたくさん見ていくことでも、磨かれていくもの
- その人の本質的な性格、考え方が非常によく反映されるもの
大局観は経験を積むことで磨かれていくようです。
そして大局観が育っていくことで、以下のようなメリットが出てきます。
- 余計な手を読む必要がなくなり
- 局面の全体を見渡すことができる
- 大筋の判断を誤りづらくなる
3.プレッシャーの活用方法
大きな舞台や晴れ舞台で、緊張して実力が発揮できない、ということはないでしょうか。
もちろん私も例外ではありません。
しかし、実力を発揮する上で、緊張よりも悪いのが、「やる気がない状態」です。
どんなに能力があっても、やる気がないと、能力は発揮できませんし、ミスをしてしまう可能性も高くなります。
それでは、最もパフォーマンスを発揮できる状態とは、どういう状態でしょうか。
それは、リラックスして、楽しんで、集中している状態です。
ここからプレッシャーの活用方法の話です。
羽生さんは「やる気がない状態」を最も悪い状態としていますがその通りだと思います。
そして、リラックスして、楽しんで、集中している状態が1番望ましい状態ですし、常にこの状態を目指すのが大切な心がけです。
しかし、プレッシャーがかかって緊張している状態は起きてしまうものです。
この状態にどう対処していくかを羽生さんに教えてもらいましょう。
プレッシャーがかかっている時は8合目まで来ている
プレッシャーはどんなときにかかるのでしょうか。
羽生さんは高跳びを例に、プレッシャーのかかる場面を教えてくれます。
仮に、1メートル50センチのバーを跳べる高跳びの選手がいたとします。
どういう状況でプレッシャーがかかるのかを考えてみましょう。
まず1メートルのバーを目の前にしたときには、プレッシャーはかかりません。
(中略)
次に2メートルのバーを目にしたときはどうなるのか。
これも、実はプレッシャーがかかりません。
今度は跳べるわけがない、絶対無理なのですから、プレッシャーはかからないのです。
これが1メートル55センチとか、1メートル60センチのように、「跳べるかもしればいし、跳べないかもしればい」という高さのときに、最もプレッシャーがかかります。
つまり、あともう少しで、ブレイクスルーできる、壁を打ち破ることができる、結果を出せる。
そういう状態の時にプレッシャーがかかることが多いということです。
「プレッシャーはできるかできないかが微妙なグレーゾーンの時に起こる」という見事な観察です。
将棋の例では、
不利な局面だと、相手のミスを待つしかないのであまりプレッシャーがかからない。
少しだけ有利な局面では、逆に自分がミスをしなければ勝つ状況でプレッシャーがかかる。
2008年6月の名人戦7番勝負第6局で、羽生さんが勝ちを確信したとき駒を持つ手が震え出したそうです。
最後の3手は震えが大きくて盤のマス目にうまく駒が置けないほどだったそうです。
羽生さんご本人の自己分析では、勝ちを確信すると震えだし、確信がないときは震えないそうですが、これもミスをしなければ勝てる状況でのプレッシャーなんでしょうね。
プレッシャーのかかっているときというのは、山登りにたとえると、もう8合目のいいところまで来ているような状態です。
(中略)
だからこそ、プレッシャーがかかっているということは、その状況自体、結構いいところまで来ている、最後の段階まで来ていいる、最後の段階まで来ていると思うようにすればいいでしょう。
私も、そう心がけています。
プレッシャーがかかっている状態が、いい方向に向かっていてあともう少しの段階というお話は僕にとっては新鮮でした。
ネガティブにとらえて何とかその状態から逃げ出したいと思うのが良くある反応でしょう。
ただ、このプレッシャーが最後の砦でそれを乗り越えればゴールが待っていると考えると、俄然やる気が出てくるのではないかと思います。
プレッシャーがかかるほうが、集中力、能力を発揮できる
基本的に人間は怠け者で、日常から深く考えるとか、ずっと集中することはできません。
24時間ずっと集中するのは無理な話です。
かぎられた短い時間の中でぐっと深く集中するための動機づけ、きっかけとして、プレッシャーが関係していると、私は考えています。
過度なプレッシャーや圧力を、きつい、つらいと感じることはあります。
しかし、指した手を取り戻すことができない本番の緊張感、緊迫感こそが、自分の持っている能力を引き出してくれることは少なくありません。
どんどん追い詰められて、そこで初めて眠っていたものが呼び覚まされるような感覚です。
多くの人がプレッシャーに押し潰されてしまいます。
でもプレッシャーを回避するとどんどん怠けるようになって来ます。
先程の高跳びの例で考えるとプレッシャーがかかるときというのは、できるかどうかわからないラインにいるときなので、プレッシャーに押し潰されるということ自体があり得ないことになります。
プレッシャーがかかった状況を乗り越えたとき、大きな成長を遂げられることは多くの方が知っていることだと思います。
自らプレッシャーのかかる状態を作れれば理想ですが、それができなくてもプレッシャーのかかる状況が訪れたら逃げずに立ち向かいましょう。
そうすれば今までプレッシャーだったことがどんどん減っていき、人生が楽になってくるはずです。
4.ミスへの対応方法
私は、これまで数千局の対局をしてきました。
その中でも、1手詰めをうっかり見逃して負けた、という1番大きなミスをした対局は、鮮明に覚えています。(2001年9月の竜王戦挑戦者決定戦3番勝負第1局)。
(中略)
「愕然とする」「呆然とする」という言葉では足りません。
そのような状態の例えで、「血の気が引く」という言葉もありますが、それよりは「血が逆流する」ような感覚でした。
もちろん実際に血が逆流すると死んでしまうのですが、本当にそう感じました。
人間誰しもミスはあります。
でも将棋において1手詰めを見逃すのはアマチュア有段者でもほとんどあり得ないことです。
それがプロ棋士がミスするとなると信じられない話で、ニュースになるほどのレベルです。
これを日常に例えると、こんな感じです。
目の前に水とコーヒーが置いてあったとします。
そして「水を飲んでください」と言われたにも関わらずコーヒーを飲んでしまった。
これぐらいのレベル感です。
こういうミスは、何か上の空というか違うことを考えているときにやりがちなことです。
羽生さんは、こうしたとてつもなく大きなミスが出たときは、忘れるしかないと言っています。
まあそうですよね。
「何でこんなことしたの?」
と自分に問いたくなりますが、問うても答えが出ないかもしれません。
なぜなら、そのとき頭が働いていない可能性が高いからです。
ミスをしたときの5つの対処法
まずミスをした瞬間から、ミスをする前の局面のことを頭から消すことです。
その瞬間に、初めて見た局面だととらえ直し、新たに取り組むのです。
ただし局面を見ると、うまくいっていたときの残骸、有利だったときの残像が残っているので、どうしても、「なんとか挽回したい」「どうしてあんな手を指してしまったのか」と考えてしまいがちです。
そうしたことが、かえって傷を深めやすくなります。
ミスをしたときの良くある反応と、そのときの対処を教えてくれています。
「やったことは取り返しがつかない。」
「過去を振り返っている暇はない。今に注目せよ。」
こういうことを言っているのだと思いますが、わかっててもなかなかできないことですよね。
このような状況に対して、羽生さんは5つの対処方法を提示してくれています。
- まず一呼吸おくこと
- 現在に集中すること
- 優劣の判断を冷静に行うこと
- 能力を発揮する機会だととらえること
- 全てに完璧さを求めないこと。自分の可能性を広げるチャンスだと、とらえること
この中で3つ目の「優劣の判断を冷静に行うこと」というのは参考になる考え方です。
ミスをしたときはひどく落ち込んだり、気が動転したりします。
だけど局面をよーく見てみると、そこまで悪くなっていないことはよくあります。
大概の場合、ミスをすると判断をすること自体を放棄するので、1度冷静になって考える癖をつけておくのは役に立つことだと思います。
反省はしても後悔はしない
ミスをしたときに反省は必要です。
でも後悔はしない。
これは世の中の多くの人が取り入れている考え方です。
反省をしないと改善ができないので、反省の必要はあります。
後悔には感情が含まれていて、改善に向かう行動を促さないのでやめた方がいいということだと思います。
不利になってもギャンブルはしない
羽生さんはギャンブルをすることを戒めています。
誰しも苦境に追い込まれると、一発逆転のギャンブルに手を出したい気持ちが心の奥底から顔を出したりするものです。
ギャンブルがうまくいくと痛快な気分になるので、1度でも成功体験がある人はギャンブルの快感を知っています。
しかもギャンブルはあまり考えなく行動できるので楽です。
でもうまくいく確率はほんの僅かということは誰しもが理解していることでしょう。
羽生さんはミスをしたときに、今以上の差がつかないようにずっと我慢して相手についていくという戦略をとるそうです。
ギャンブルをギャンブルでない確実にうまくいく状況に育てるために、じっと我慢をしてチャンスを伺うということですかね。
ミスを減らすには自分のミスの傾向を知る
人間は見えないものには対処できません。
ミスというのは見えないから起きるもので、何もしなければまた同じミスを繰り返します。
羽生さんは、自分のミスを分析して傾向をつかんでおくことを勧めています。
これは自分のミスを見える化して、意識にあげておくということだと思います。
これだけでミスを減らすことが可能だと僕も思います。
ミスの傾向をつかむことはつまり反省ということですね。
かなり面倒なことに思えますが、自分のミスの傾向をつかむことをしていくといいと思います。
苦手なものはずっとついて回ってくる
苦手なものを作らないということも、勝負の世界では大事なことです。
(中略)
苦手な相手がいたり、苦手な先方があったりすると勝負に勝てないからです。
(中略)
私は将棋に関しては苦手なものはありませんが、実は人前で話をするのは、子供の頃から1番苦手にしていました。
(中略)
苦手なことを今なぜかやるようになってしまったところに、運命を感じています。
苦手なものから逃げても、結局はそれをやるようになってしまうのかもしれません。
苦手なものがずっとついて回ってくるという話は、その通りだなと思います。
逃げようとしても苦手なことは追いかけてきます。
将棋もそうだし、人生でもそういうことはたくさんあります。
羽生さんは苦手なものを作らないことを方針として、生きておられるのだと理解しました。
僕は苦手なものはやらないという考えを持ちながら、苦手なものが自分の前に舞い降りてくることが多いので羽生さんのような考え方も必要かもしれないと思いました。
まとめ
この本は羽生さんの将棋に対する姿勢や内面を存分に披露してくれています。
羽生さんだって考えてみれば、単なる将棋が大好きな少年に過ぎなかったのです。
それが超一流の棋士になって、凄まじいプレッシャーにさらされていろんなことを経験し、学んできたんですよね。
羽生さんを見ていると将棋が本当に好きなんだなということがよく分かります。
そして勝ち負けより、最善の手は何かへの関心の方が強い方だとお見受けしています。
最後に書いた「苦手なものはずっとついて回ってくる」では、本当はただ将棋をやっていたいだけなのに、苦手なスピーチをいつまでも頼まれる苦悩が感じ取れます。
この「ずっと」という言葉がうっとうしさを表現している気がします。
羽生さんは大変な読書家だそうで、本もたくさん読んでいるそうです。
だからこれからも、考えていることや伝えたいことを本にしてくれることを期待しています。
僕は羽生さんのことを、将棋界の中で将棋の未来について1番考えてくれている人ではないかと思っています。
自分の思い通りにならないことを魅力と感じられる素晴らしい感性の持ち主である羽生さん、僕は同級生だと思ってこれからの更なる活躍を応援しています。
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